2013年5月18日土曜日

伊勢参り〜その4 伊勢神宮の内宮へお参り

「手こねずし」で伊勢うどんとさんまずしを堪能してやっとお伊勢参りです。

川沿いからは趣のある建物が見えるので歩いていて楽しいです。


 


天気が良いときの川沿いの散歩は楽しいですね。


 


川沿いから一歩なかの通りに入るとすごい人です。


 


さすがは日本有数のパワースポットですね。古い建物が両側にある通りで歩いていて楽しいです。

大学の時にまちづくりの勉強でここに見学に来ましたが、そのときより人も多くきれいにしてある建物も多い気がします。

 夫婦岩のところで食べた「まる天」もありました。


 


そして、伊勢神宮の「内宮」に到着です。

 本当は「外宮」から参るのが古来からのならわしなのですが、ここまで内宮から外宮までは結構時間がかかることがわかり、仕方がないので内宮からお参りすることにしました。


 


参道の真ん中は神様が通る道なので、参拝者は端を歩くのが作法だと聞きましたが、そのためなのか道の両側に敷物が敷いてありました。

 そして、鳥居を通るときには一礼。

 結構同じようにちゃんと一礼をしている人がたくさんいました。


 


伊勢神宮きれいです。


 


さすがに植栽の手入れなども行き届いています。

 途中で手を洗う手水がありました。


 

こちらも作法があります。

1、 一礼して柄杓で水をすくいます。
2、 右手で柄杓を持ち、まず左手を洗います。
3、 柄杓を左手に持ち替え、右手を洗います。
4、 また右手に柄杓を持ち替え、左手に水を汲み、
    口をすすぎ、静かに水を吐き出します。
5、 再度左手を荒い、両手で柄杓を持ち、垂直にたて、
    残った水で柄杓の柄を清めます。
6、 柄杓を伏せて元の位置に戻して最後にもう一度一礼します。

 これらをひとすくいの水でおこないます。

 手を清めてからもう少し歩くと社が見えてくるのでお参りします。

 ここは、敬意を表して写真を撮ってません。

 こちらのお参りにも作法があります。

 まず、鳥居の前では一礼。

 そして、2拝2拍手1拝でお参りします。

 伊勢神宮ではお参りするときにお願いをするのではなくて、日頃の感謝を言うそうです。 それにならってお参りのときに感謝を言いましたが、5円や10円でお願いごとを言うよりなんか気持ちよい感じになれたので、これから他の神社でも同じ様に感謝をしていこうと思いました。

 ここには天照大御神が祀られています。

天照大御神は憲法で日本の象徴となっている天皇陛下の祖先です。

話としては神様の子孫って思うかもしれませんが、神話に登場する神様の直系の子孫が今も生きているってすごいですね。

ギリシャ神話で言ったらゼウスの子孫が今も生きているという様な感じです。

 今年は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮ですが、その関係の展示で良かったものがあったので転載します。


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~「古代から現代、そして未来へ   二十年に一度の遷宮が伝えるもの」~  

伊勢神宮の最大の採点は式年遷宮です。

式年遷宮とは、二十年に一度定められた式年に、新宮をお建てして大御神にお遷りを願うもので、千三百年の伝統があります。    

式年遷宮の制度は、天武天皇のご発案により、続く持統天皇四年に第一回が行われてから、営々と継続され、今回(平成二十五年予定)で六十二回を数えますその間、どの時代であっても式年遷宮は歴代天皇のお御心を戴き、我が国の永遠を求め厳粛に執り行われてきました。    

パルテノン神殿のように、永遠を追求した石造建築などは世界中に数多く見られますが、高温多湿な日本で恒久的な建築を求めるのは至難の技でした。  

そこで式年遷宮では、社殿を新しくし、奉納する神宝をまったく同じに新しく作り替えます。それを二十年に一度繰り返すことによって、大御神の神殿を永遠なるものとして伝えることが可能となったのです。  

建替えを行うにはたいへんな労力を伴います。明治時代にある政治家が、御用材の生育期間確保のため、一時的にコンクリートで社殿を造営する案を明治天皇に建言したところ、明治天皇は造営の古制遵守を諭され、決してお認めにならなかったと伝えられます。  

宮中の神事や新宮の祭祀は、伝統を重んじ右のものは右、左のものは左のままとするがごとく、みだりに変化を与えないところに尊さがあるのです。  

なぜ二十年に一度なのかというと問いには、多くの説が出されています。  

二十年は、社殿の耐久性から新宮の尊厳を守る適年であり、建築技術や神宝作製の技術を伝承することが可能な年限などの説。

また、穀倉に起源を有することから、稲の貯蔵年限のうち最長が二十年とする法令によるという説などがありますが、どれか1つに限定するのではなく、複数の理由があり、それが遷宮を継続する上で理に適ったものであったからだと考えられます。  

弥生時代の穀倉に起源を持つ建築様式である唯一神明造の大きな特徴は、堀立柱と藁葺きの屋根です。  

奈良の大寺院などのように非常に高い建築様式があったにもかかわらず、あえて耐久性の低いこの様式を残そうとした背景には、我が国が稲作を中心として国家を形成してきた事実があるのでしょう。  

すなわち、神宮の社殿は、日本の国のはじまりを象徴し、それを永遠に伝える約を担っているともいえるのです。  

もちろん人の価値観は時代ごとに推移するものですが、どのような世の中になっても、残さなければならないものは残さなければならないのです。  

生活様式がいかに変わろうとも、日本の歴史や私たちの先祖の営みは、決して捨て去ることはできません。逆にそのようなことを大切に守り伝えているからこそ、日本人は国際社会で信頼を得ているのではないでしょうか。  

世界中には遺跡や遺産と呼ばれているものはたくさんありますが、神宮は現在も年間六百万人の参拝者をお迎えしており、その一人一人が何かを感じてくださっています。その点で神宮は決して過去の遺跡や遺産ではないのです。  

古代がそのまま現代に生きており、またそれは未来にわたって生き続ける。遷宮を行うことで、神宮は最も古く最も新しく生き続けるのです。  

それこそが、伊勢神宮の持つ独特のスタイルといえましょう。


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石造りの建物が何百年も続いているのもすごいですが、二十年おきに同じ建物を何百年も作り続けることもすごいと思います。

こういうところからも日本は世界に誇る歴史的文化のある国として世界に誇れるのではないでしょうか。

 僕も結構合理主義なのですが、最近日本の伝統と文化に気がつき、その素晴らしさに感動することが多いです。

 やはり、残すべきものは残していくことが日本が世界に誇れることなのではないでしょうか?

 戦争が多い地域ではこんなに千年も昔の文化を残しておけなく、歴史的に平和な期間が長い日本だからこそすばらしい伝統が残っているのだとこの文章で気がつかせてもらいました。

 それにしてもこの文章書いたのは宮司さんなのでしょうか。とても良い文章だと思います。

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